親不知

数日前の朝、起きると左下の奥歯のあたりに鈍い痛みが走った。

口内炎かな。ここのところ良く食べたし。うんうん、きっとそうだ。日がたてば自然に治まるはず。

と、知らんぷりを決め込む。

 

子供のころ歯医者との係りが悪かったのか、私は尋常でなく歯医者が怖い。

学校の校医もしていたその歯医者の薄暗い待合室には、コッチコッチと古い架け時計の音が響き、これまた古ぼけた歯槽膿漏で崩れいく歯の模型が飾ってあった。

緊張マックスの中、診察室へ呼ばれ、診察台に座る。

マスクをした目だけしか見えないお医者さんの顔は表情が読めず、その手には甲高い音を立てる先のとがったドリル。

歯が削られるのが進むにつれ走る何とも言えない痛みから私が頭を動かすと、さっと横から助手の手が伸び、私の頭を両手でがっちり固定する。

身動きがとれないまま、ヤットコのような器具が私の奥歯を挟んだ。

抜歯の瞬間「めきめきっ。ごぉりごぉりっ」と頭蓋骨に響くなんとも言えない衝撃と音。

 

さらに、弟が親不知を抜いたときの話をしてくれたことがあった。

「親不知を抜くときは、根が深くて一息に抜けへんから、まずトンカチとノミでかち割って、欠片にしてから抜くんやで」

もう拷問ではないか。

 

しかし今回は知らんぷり作戦が効かない。

日に日に痛みが増し、奥歯付近だけでなくコメカミや喉、首まで痛みが広がってきて、頭痛までしてきた。

「これはもう仕方ない」と意を決して7年ぶりに歯医者の予約をとる。             

嫌な予感が的中し、診断の結果は親不知の暴動とでた。

レントゲン撮影された親不知は、まさかの真横に向いて生えており、歯茎を突き破ろうとしていた。

「痛みのある親不知だけじゃないね。4本とも状態が悪いですよ。これを機に全部抜いてしまうことをお勧めしますがどうします?」

究極の選択かはたまた死刑宣告か。

歯医者さんの言葉を聞きいている間も、じんじんじんじんうずく奥歯

考えている猶予はないと腹をくくり、「お、お願いします」と苦渋の選択をした私に、歯医者さんはにっこり素敵な笑顔を返してくれた。

 

青い顔で次回の診察の予約し、脱力感を全身に感じつつ家路につく。

友人に報告すると、「4本全部とは大変やな。でも親不知無くなったら少し小顔になるって言うで」

それはちょっと嬉しいかも。

ちょっと前向きなネタやな、と自分を励ます。

マスクマンの私を見かけたら、親不知と戦った証と温かく見守ってやってください。